ベントレーへの誘い Vol.04





ベントレーの歴史に触れる場所
2019年に創業100周年を迎えたベントレー。その歴史を知るのに最も適した場所が、埼玉県加須市にあるワクイミュージアムだ。館長の涌井清春さんは1960年型のベントレーS2を手に入れたのをきっかけにコレクションをスタート。カルフォルニアにあったディーラーを買収して、ベントレー&R-Rに特化した専門店を1988年に創業。以来550台以上の名車たちを扱ってきたスペシャリストである。
商売と並行して自身のコレクションも増やしていく中で、戦後、吉田茂の側近として活躍したことで知られる白洲次郎がケンブリッジ大学留学時に購入した1924年型ベントレー3リッター・スピードモデル“XT7471”を入手したのを機に、長年の夢であったミュージアムの設立を推し進め、2008年夏にベントレー&R-Rのプライベートミュージアムとしては世界屈指の内容を誇るワクイミュージアムをオープンした。
「我々は歴史的に貴重なクルマたちの“一時預かり人”なんですよ。30〜40年前にヨーロッパにクルマを買いに行くと嫌な顔をされたものです。それは日本に自動車の文化がないと思われていたからなんですね。ベントレーは英国の誇りですから。だからいつも良い状態に保ち、いつでも見て、乗れる状態にしておくミュージアムを作ろうと思ったんです。ミュージアムは文化を継承する社会的な責任があるんです」
涌井さんは、間違いなく日本で一番多くのクラシック・ベントレーを所有し、ドライブしてきた人物である。そしてクルマを通じて創業者であるウォルター・オーウェン(W.O.)ベントレーの生き様を追い続けてきた人物でもある。
「クルマって文献に書いてあることだけではわからない。自分で乗ってみないとわからないものです。本当のW.O.時代のベントレーとは何か。そのためには当時の性能が出ていなければいけない。となると、それを実現できる体制、メカニックも必要になります。僕はおそらく日本で一番W.O.のベントレーに乗っていると思います。もちろん当時を知りませんから、W.O.がどういう男だったのか? クルマを通じて、ハンドルを通じて、文献ではなく体験で知りたいのです」






その魅力を紐解く5つの柱
そんなベントレーの魅力とは何か? と伺ってみると、そこには5つの柱があると涌井さんはいう。
まず1つ目に挙げたのは、ベントレーが100年を超える歴史を誇るスポーティーカーのメーカーであるということだ。
「例えばフライングスパーは4ドアサルーンだけど、4ドアクーペっていう方が相応しい。走りもまさにスポーツカー。そういう意味でも2ドアのスポーティーカーがベントレーの本来の姿なんですね。100年の歴史が作り上げた感があります」
2つ目は、創業者で稀代のエンジニアであったW.O.ベントレーの存在だ。
「フェラーリにエンツォ・フェラーリの個性がすごく出ているのと同じように、現代のベントレーの中には彼の志、モットーが生きていると思います。こんなエピソードがあります。創業の地、ロンドン近郊のクリクルウッドで最初のクルマの開発しているときに、隣の住人がウチには病人がいるから大きな音を立てないでってクレームを入れたら、W.O.は“3リッターに火が入る瞬間の音を聞いて死ぬなんて幸せな奴はいない”って言ったっていうエピソードがあるんです。そういう男が作るやんちゃなクルマだから、魅力があるんでしょうね」
3つ目に挙げるのは、ル・マン24時間レースとの関わりである。
「1920年代にル・マン24時間レースに果敢に挑戦して5回も優勝したこと。当時の英国の自動車は技術的に遅れていたんです。そこで勝つことで国民に知らしめ、英国のプライドになった。レースへの挑戦がベントレーの名を知らしめたんです」
そして4つ目はそのル・マンなどのレースに挑戦した当時のワークスドライバー、ベントレー・ボーイズの活躍である。
「彼らはただのクルマ好きではない。貴族とか富豪、医者、弁護士といったハイクラスの人々が、今のレース以上に過酷な状況下で世界に挑んでいるんです。地位も名誉もある憧れの人が命をかけているんです。W.O.時代のベントレーを運転するのは、すごく大変で体力を必要とします。でも乗るとそんなことは払拭されて、飛ばしたくなってしまう。僕だけかと思ったら年齢や国籍を問わずみんなそうなんです。血が騒ぐっていうのかな? ベントレーボーイズが命をかける気持ちがわかった気がしました。実際に走らないとわからない。それこそがベントレーのスピリットなんじゃないでしょうか」
最後の5つ目が、“サイレントスポーツカー”と呼ばれたW.O時代以降のベントレーたちだ。
「1931年に買収されてダービーに移って、ベントレーという会社はある意味で一度無くなったんです。なぜ買収されたかというと、ベントレーが唯一脅威を与える存在だったから、他所に取られたら困る性能のクルマだったからです。だから買収後は意地でもベントレー製のエンジンは使わず、すごい性能は出ないけど、壊れない、静かで乗り心地の良いクルマを作って“サイレントスポーツカー”と呼ばれるようになったのです」
でもそれはベントレーの歴史を考えると、決してネガティブなことばかりでないと涌井さんは話す。それはあらゆる世代のベントレーに直に接してきた涌井さんだからこその視点でもある。
「一方で買収されたおかげでベントレーというブランドが残ったとも言えます。サイレントスポーツカーというのは矛盾した表現ではあるけど、スポーツカーらしさを秘めていて、R-Rの内装を持っているのはある意味、理想のクルマ。ダービー時代のベントレーを表した見事な表現だと思います。そしてその結果、戦後になってRタイプ・コンチネンタルという傑作ができたのです」



W.O.ベントレーのスピリット
新車当時のオリジナルボディを残す世界最古の個体である1921年型の3リッター by Gairn(ゲイルン)、若き日の白洲次郎が乗った1924年式3リッター・スピードモデル、1928年のル・マン24時間レース優勝を始め、数々の輝かしい戦歴を誇る4 1/2リッター “オールド・マザー・ガン”など、錚々たるクルマたちに囲まれながら、涌井さんのお話を聞いていると、まるでW.O.が生きていた時代にタイムスリップしたかのような感覚に襲われる。
「W.O.の気持ちを知るためにW.O.時代のベントレーに乗ってきた。僕はベントレーによって育ってきたんですよ。ベントレーにはある温もりが他のメーカーのクルマにはない。他のクルマとベントレーは音や加速も違うんです」
そんなW.O.ベントレーに心酔し、彼の足跡をなぞるように数多くのベントレーに接してきた涌井さんにとって、最新のベントレーはどのように映るのだろうか?
「フォルクスワーゲン・グループの一員になった時、世界中のベントレーオーナーにアンケートをとったら圧倒的にRタイプコンチンネンタルのようなGTが欲しいという意見が多くて、コンチネンタルGTを開発したという話を聞いたことがあります。そういうことを良くやったと、尊敬します」
先日ベントレーは“ビヨンド100”を発表し、段階的にラインナップの電動化を進め、2030年まですべてのモデルを電気自動車とすると宣言した。まさに本当の意味での”サイレントスポーツカー“となろうとしているのだが、涌井さんはそんなベントレーの未来にも期待を持っているという。
「今のベントレーはしっかりとW.O.のスピリットを受け入れているのだと思います。何か具体的なものというよりも、いいものを残そうというスピリットですね。そういうことをわかると、皆さんにもベントレーを持つ“誇り”を感じてもらえるんじゃないでしょうか」

ワクイミュージアム
館長
涌井 清春
ベントレーのスペシャルショップのファウンダーであり、世界屈指の規模と内容を誇るプライベート・ミュージアム “ワクイミュージアム”の館長を務める涌井さん。ミュージアムの展示車の充実だけでなく、書籍の出版、イベントの開催など、様々な側面から日本のクラシックカー文化の発展に尽力している。ぜひ一度、ミュージアムでクラシック・ベントレーの魅力に触れることをお勧めしたい。
WAKUI MUSEUM ワクイミュージアム
住所:埼玉県加須市大桑2-21-1
電話:0480-65-6847
開館時間:毎週土日 11:00〜16:00 入館無料
https://www.wakuimuseum.com/